第16話   加茂水族館長村上龍男氏 U   平成16年08月02日  

庄内竿の愛好者の中には苦竹以外の竿を庄内竿として、頑なに拒否若しくは認めたがらぬ者が多いが、庄内で産する竹を使い作られた竿であればすべて庄内竿と云って良いのではないかと思っている。その昔頑固に庄内竿は延べ竿でなければならぬと云いながも今日では継ぎ竿も延べ竿のひとつとして認められている。時代の変化がその様にさせたのである。最近の私はいろいろな竹や作り方の庄内竿があってもしかるべきと考えるようになった。

以前から矢竹の竿を振って見たいと思っていたが、一番最初に振っ見たのが、一柳斎と云う大山の竿師の作だった様に思う。それは根上釣具店の庄内竿会館
(以前故根上吾郎氏の庄内竿のコレクションを時々開館し展示閲覧させていた)での事であった。竿師一柳斎は、最初苦竹で竿作りをしていたというが、もう良いニガ竹がないといって矢竹で竿を作っていたと云うちょっと変わった竿師である。記憶ではその竿は、根から胴が矢竹で穂先十数cmがニガダケで継がれていたように思った。調子そのものは細身のニガダケと同じでしかも軽く、私好みの調子であり記憶に残って居る一本である。

氏も同じように考えられているようで、矢竹で竿を作った。矢竹で作られた竿はニガタケの様に大型のクロダイを釣ったのでは簡単に折れてしまう。が、尺くらい迄の黒鯛を釣ったと時の面白さは格別である。「竿のしなり具合を周囲に見せ付けてビックリさせてやろうと思って作りました」という。カーボンのような化学繊維で作られた竿では、決して味わうことの出来ない釣が面白いと云う。

所詮釣は遊びであって、漁師ではないから必ずしも数を取ることでも大きなものを釣ることでもない。遊び心を持って釣をして、それが心身の高揚となりストレスの解消となればそれに越したことはないと考えている。水族館を辞すると申し出た時、村上館長から「是非、加茂水族館のクラゲを見ていって下さい。きっと心が癒されますから・・・!」と云われた。現在この水族館での生きたクラゲの展示は、日本で一番で世界でも類を見ない物となっている。クラゲの飼育にはかなりの苦労があったという。日本いや世界で最初のクラゲの孵化、飼育の成功の裏で陰の努力が如何程であったか、計り知れないものがある。その成功は氏の釣の遊び心の延長がそうさせたのかも知れないと思った。田舎のちっぽけな水族館が、大都市の資金の潤沢な大水族館等と対等にはやっていける筈もない。それをクラゲのコレクションでは日本一という、立派な水族館の目玉を作り挙げた手腕は並大抵の御仁ではなかったと思う。とかく色々云われ勝ちな若い人達を盛り上げて指導し、ここに至る迄の道程は並大抵の努力では成し遂げられなかったであろうと思う。クラゲの飼育は手探り状態で以前は、死ぬと海からすべて補給していた。それを若い人達の熱意と偶然の賜物がクラゲの産卵、孵化に成功し飼育に成功した。ただの地元にいる魚を展示するだけの水族館では当然のごとく閉館に追い込まれていたであろう事は想像出来る。

クラゲの展示が始まって以降、毎年入場者が増え続けているのは画期的なこととしか思えない。毎年新しいクラゲの数を増やして行って今年は前年比140%という入場者数を誇っている。クラゲのゆらゆらとゆれる姿を見た時、人は何故か安らぎを覚える。庄内釣の原点である、釣れた魚を楽しんで釣ると云う遊び心からの発想であったからと思っている。又この偉業は庄内釣の継承者を自認する氏でなければ、出来なかったと事と信じている。

            
            加茂水族館のHP